篠栗・JR城戸駅に午前10時集合 (この写真は釈迦涅槃像の広場から撮影しました。駅前にはすでに数人が集合) |
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JR城戸駅前集合後、貸切バスで「地蔵とうふ店」へ
地蔵どうふ八木山店~老松神社~貝原益軒学習の碑 |
バスの車窓からは満開の桜 |
最初に老松宮へ |
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貝原益軒学習の碑 |
福岡生れ。朱子学派に属するも独自の見解を持ち教育思想家として著名。著書『大疑録』『慎思録』『益軒十訓』『大和本草』その他多数。藩学の学祖。小学生の頃、貝原益軒は八木山の地で学問に励んだそうです。この「学習の碑」は 国道201号線から200mほど入った所に建てられ益軒の足跡を伝えていました。
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大儒貝原益軒は寛永七年十一月十四日(一六三二)福岡城内に生れた。父寛斉はその後浪人となって博多に移り住んだ。六才の時母に死別した。当時は極貧の家庭であった。益軒七才の時父及び兄存斉から書を教えられたが早くも自らよく仮名を解し小説や草双紙の類を読み・他の子供のように騒がずよく父兄の教訓を守り温良謹厳の特質と読書好学の天性とは早くもこのころから芽生えていた。寛永十四年十一月(一六三九)父寛斉再び禄を得て地行所である当時穂波郡八木山の地に移り住むに当って益軒も一家とともにこの地に住み、鎮守の森のささやかな邸宅に起き臥しした。幼にして大学者の素地を持っていた益軒はこの山紫水明の里、鶏犬の声よりほか音なき寒村の生活を叉となく愛した。翌年の春 天草四郎の反乱があり父は黒田忠之に従って島原に出征した。その留守中、兄存斉がはじめて漢字を教え書物の一ぺージを繙かせた。八木山は山深い田舎のこととてこの地で書物を得ることができないことは少年時代の益軒の大なる悩であった。この時同じ福岡藩土で浪人になって八木山に土着していた加藤田は或時益軒に平家物語一巻を借してやると益軒は喜んで読みはじめ巻を追うてこれを借り、朝夕耽読して全く寝食を忘れるありさまであった。このようにして次カに天保平治物語や太平記を読み、十才の時には倭王篇を暗誦し父節用書をみて和訓をも覚えてしまった。益軒はこして八木山におること四年、十一才の十一月、父寛斉は藩公のお召によって福岡に向うことになり益軒も父に伴われてこの地を去った。貝原益軒の墓所は、福岡市中央区今川の金龍禅寺にあり、夫人の東軒の墓と隣り合わせになっているそうです。 |
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八木山峠・展望所 |
展望所からの飯塚盆地、八木山では満開の桜の下の花見客、今日は最高の桜日和でした。 |
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第5番札所[第5番 郷ノ原地蔵堂 |
本堂には地蔵菩薩が祀っています。
ご真言『おんかかかびさんまえいそわか』の意味は地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻(さまようこと)して苦しむ人々を救うという菩薩の事であり、安産・健康・長寿・智恵・豊作・求財などにご利益があるそうです。 |
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第85番札所 祖聖大寺 |
珍しいスタイルの“願掛け”が話題のお寺「祖聖大寺」。通常は「~しますように」と願うのに対し、ここでは「~しました」というスタイルで願うのそうです。祈願成就のため自らの努力を促すことによって、神仏が力を貸してくれるのだという。実際にたった二ヶ月の間に仕事が増えた人や、宝くじが当たったというご利益の報告を受けているそうです。だが、これはあくまでも“願えば叶う”と信じ自らの努力あっての成就だそうです。ごもっとも。 |
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第12番札所 千鶴寺
智恵と福徳を授けてくれる虚空蔵菩薩を本尊とするお寺
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智恵と福徳を授けてくれる虚空蔵菩薩を本尊とする「千鶴寺」。06年に火事にみまわれたが、現在では新しい本堂と権現堂が建立し、新たな歴史を刻んでいます。ここを訪れると本尊と同じく智恵と福徳を授けてくれるという七福神姿のフクロウたちが出迎えてくれ、本堂の奥には見所のひとつでもある千鶴ヶ滝がある。この滝の名前の由来には、黒田藩の三宅千鶴という武士がこの滝にこもって剣の修行をしたところにあるとも言われ、非常に神秘的な時間を過ごすことができるだろう。
ちなみに、毎月第一日曜の護摩供養の際には、権現様のご神体で直接加持してくれる“身体加持”も篠栗ではここだけなので、ぜひ体験を。昼食後は娘さんよりお話をしていただきました。 |
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第34番札所 宝山寺 |
戦国時代、山賊によって多くの人が命をおとした。その人々の供養と旅人の安全を願い建立されたのがこの「宝山寺」。周辺には毎春桜並木が満開になり、その素晴らしい景観は山桜で名高い「吉野千本桜」(奈良)をしのぐといわれ、新吉野と称されるほどだ。ここでは、薬師如来を本尊に祀り、本堂前には山伏修行の場であった“黄金まき岩(かねまきいわ)”があり、毎年10月の第三日曜日には紫燈護摩大祭が厳修される。その他の見所としては雄滝、雌滝の二つの流れをもつ紅葉瀧や、厄落としの坂(男42段・女33段)、厄除大師、水子地蔵などが奉られており、篠栗霊場のお遍路さん以外からの信仰も厚いお寺だそうです。
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男坂、女坂を下り、水子供養塔へ |
それぞれ手作りの可愛らしい衣服を纏ってあたたかそう、篠栗にはいたるところに、水子供養がみられます。 |
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桜満開の新吉野公園 |
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第81番札所 二瀬川観音堂 |
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第56番札所 松ヶ瀬地蔵堂 |
第2番札所 松ヶ瀬阿弥陀堂 |
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神変寺/釈迦涅槃像~南蔵院 |
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南蔵院 |
南蔵院は篠栗四国霊場の総本寺で、高野山真言宗の別格本山でもあります。明治19年、廃仏毀釈のあおりを受け、県令によって霊場廃棄命令が出されたが、地元の人々の嘆願の結果、明治32年9月に高野山より南蔵院を招致することで霊場の存続が認められたそうです。
移転とともに篠栗にやってきた林覚運第二十一世住職の熱心な布教と、地元の人々の熱意により、今では日本三大新四国霊場のひとつに数えられるようになり、南蔵院には年間120万人の方々がおまいりされるほど広く信仰されているそうです。
また、南蔵院では長年にわたりミャンマーやネパールの子供たちに医薬品、ミルク、文房具などを贈り続けた返礼として、ミャンマー国仏教会議よりお釈迦様、阿難様、目連様の三尊者の仏舎利の贈呈を受けました。この仏舎利をおまつりするために平成7年に釈迦涅槃像が建立された。全長41m、高さ11m、重さ300トン、ブロンズ製の涅槃像としては世界最大。完成を祝う落慶法要では、「千僧供養」がいとなまれ、日本国内をはじめ、東南アジア各地から約1,300人の僧侶が参列したそうです。今では篠栗のシンボルとして人々の”心のよりどころ”となっているようです。 |
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本日の打ち止めは南蔵院、釈迦涅槃像前で集合記念写真を撮影後、JR木戸南蔵院前駅へ。ここで世話人の野田さんの挨拶のあと自由解散となりました。
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