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歩こう会・篠栗霊場めぐり   





【日時】
平成23年4月5日(火)  AM10:00 JR木戸南蔵院前駅に集合
【参加人員】  42名
【コース】  JR木戸南蔵院前駅第45番札所[城戸ノ滝不動堂]~第1番札所[総本寺南蔵院~第60番札所神変寺~第2番札所松ヶ瀬阿弥陀堂第56番札所第56番札所松ヶ瀬地蔵堂~第81番札所二瀬川観音堂第75番札所山王薬師堂第34番札所紅葉ケ滝 宝山寺 ~昼食~第5番札所 郷ノ原地蔵第50番札所 郷ノ原薬師堂第85番札所祖聖大寺第12番札 千鶴寺第88番札所 大久保薬師堂第58番札所大久保観音堂 第6番札所 小浦薬師堂第13番札所 城戸大日堂第74番札所 城戸薬師堂第72番札所 田の浦拝師堂第71番札所城戸千手観音堂~JR木戸駅前
本年第一の雲一つ無い青空一杯の4月5日、篠栗は今や桜々満開!新四国霊場巡りは7年目!「満願成就」最終年度にふさわしい歩こう会となりました。 今回の打ち始めは、霊場開基の尼僧「慈忍」様が断食祈祷された、城戸不動の滝、平家岩の洞窟です。 続いて、江戸末期篠栗新四国発祥の1番札所「南蔵院」の世界一のブロンズ「釈迦涅槃像」の前で記念撮影。 過去7年間でお参りしていない、郷の原川沿いの12ヵ所の札所を遍路道を辿りながら巡り、本日の最高地(275m)千鶴寺境内にて昼食をいただく。 周囲の谷や山々を見渡せば、まさしく「桜」「桜」全山桜一色の風景! あとは、7年前お参りした7ヵ所の札所に「7年間の健康」に対するお礼を申し上げながら下山し、JR城戸南蔵院駅に到着し解散。 今日の霊場巡りは「ミニ登山だったね!」が皆さんの実感のようでした。 歩行距離7km (野田 弘信)
写真撮影:福永攻治、笠井雅弘
篠栗霊場の開創について
天保6年(1835)、
尼僧慈忍が本四国88ヶ所巡拝の帰路篠栗村に立ち寄りました。疫病・飢餓に苦しむ村人を見て、村民救済を弘法大師空海の導きに求め断食・祈祷を続けたところ、大願成就し村に平安が戻りました。
そこで慈忍は、この地に88ヶ所霊場を創設することを発願。ところが慈忍が志半ばで没したので、その後は篤進家
藤木藤助が志を継ぎ、村内各所に88体の本尊を安置したのが、篠栗新四国88ヶ所霊場の始まりといわれています。
その後興廃を繰りかえりながらも、明治32年(1899)高野山にあった南蔵院を、篠栗霊場の総本山として迎え入れて以来、参拝者は年々増え、今日の繁栄にいたっております。
八十八の意味は男厄年42歳 女厄年33歳 子ども厄年13歳、合計すると88。厄難を除くため、八十八ヶ所の霊場を開きました。
今回の篠栗霊場巡りのコース
第45番札所 城戸ノ滝不動堂
篠栗新四国八十八ヶ所霊場の発願者である慈忍が、伝染病に苦しむ村民のために、この滝に打たれて病気平癒を祈ったとされる歴史あるお滝場。南蔵院の大不動明王像から脇の石段を登った所に札所があり、45番のお堂はコンクリート造り、本堂左に不動の滝が掛かり、右横には、滝行する人のために籠堂(更衣室)があり 滝の手前にに架かる橋を渡ると、平家の落人がひそんだといわれる平家岩という巨大な岩があります。本堂右横に不動霊水窟があり中に石を彫刻した不動明王が祀られていて、前には巨大な金剛杵が奉納されているそうです。
第1番札所 [総本寺南蔵院]
正式の名称は「高野山真言宗別格本山、篠栗四国総本寺」といい、八十八ヶ所霊場の一番札所で本堂を中心に、左側には「大師堂」、「不動明王」、「三宝荒神」があります。この不動明王像は高さが11メートルもある巨大な厄除け不動尊です。さらに右側には「わらべ地蔵」、その先に「七福神トンネル」があり、このトンネルを抜けると「釈迦涅槃像」がある広場に出ます。南蔵院は、もともと高野山にあったお寺です。今から170年前、江戸天保年間に開かれた篠栗四国霊場は、明治時代に入り廃仏毀釈のあおりを受け霊場廃止命令がくだされました。困った地元の人々が存続の陳情や嘆願を30年にわたり続けました。高野山 千手谷にあった南蔵院を招致し、すべての札所を南蔵院の境内地とすることにより存続を認められました。初代住職の林 覚運は当時20代前半の若さでお堂の大きさは、わずか4畳でした。多くの信者さんの尽力や歴代の住職の布教により今では、年間120万人の方が、お参りに来られるようになったそうです。
第60番札所 神変寺    「釈迦涅槃像」広場
このお寺は、篠栗四国霊場の中でも一番小さなお寺であり、寺というよりもお堂といったかんじである。本尊の大日如来の右横に弘法大師、その脇に役の行者神変大菩薩が祭られている。寺名もこの神変大菩薩の神変からきています。神変とは人の知恵では,はかり知れない不思議な変化ということで、役の行者・行小角(えんのおずぬ)という人物のことで、鬼神を使い、呪術にたけ、空を飛び、山伏たちの祖といわれているが、実のところ生まれた年月や両親は誰か、またいつどこで他界したのかまったく謎に包まれた人物である。神変寺はその昔、八木山峠の中腹にあって奥の院に継ぐ難所で、峠を越える荷馬車の馬方が道中の安全を祈願する札所でもありました。その後、峠の札所は、郷の原の川沿いに移転し、さらに昭和59年、南蔵院の別院・神変寺として松ヶ瀬の国道を入り込んだところに移り、本堂をはじめ大師堂など建立されたが、涅槃像の建造にともない71番札所の横に仮移転され、涅槃像の完成により現在の元の位置に戻ったそうだ、なんとも大変!なお寺だ。六十番札所のすぐそばに涅槃蔵の体内への入り口があります。体内の通路には第一番札所から第八十八番札所まで札所番号を刻んだ石だたみが順番に並べられており、此れらを踏みしめながら通り抜けると、八十八ヶ所すべてをお参りしたことになるそうです。
本日の集合写真      この写真はクリックすると拡大します。(479KB)
全長41メートル、高さが11メートル、重さは約300トンもあるブロンズ製の巨大な釈迦涅槃像があります。ブロンズ製の涅槃象としては世界最大で、ニューヨークの自由の女神を横にした大きさとほぼ同じだそうです。平成7年(1995)5月に完成したもの
                                                                            今日の初参加は、左:宮崎隆夫さん 右:羽野保行さん
第2番札所 松ヶ瀬阿弥陀堂
本尊は四国極楽寺より勧請の阿弥陀如来で境内にある淡島大明神が有名で婦人病に効験あり、かつては博多の花柳界の女性の参詣でにぎわったそうです。
第56番札所松ヶ瀬地蔵堂
本尊は四国泰山寺から勧請の地蔵菩薩です。
第81番札所 二瀬川観音堂
本尊は四国白峰寺から勧請の千手観世音です。堂前で二瀬川と郷ノ原川が合流して、多々良川となっています。
第75番札所 紅葉ヶ谷薬師堂 
本尊は薬師如来で篠栗霊場創設以来の古い滝場で、信者の信仰が特に篤いそうです。
第34番札所[紅葉ケ滝 宝山寺]
本尊は薬師如来で本堂前には厳しい表情の山伏像がたち、黄金まき岩の看板がかっていました。
第5番札所(郷ノ原地蔵堂)
第50番札所(郷ノ原薬師堂) 第85番札所 祖聖大寺
第12番札所(千鶴寺)      昼食・休憩
本日の昼食場所の千鶴寺は、智恵と福徳を授けてくれる虚空蔵菩薩を本尊とし、06年に火災にあい、現在では新しい本堂と権現堂が建立されていました。寺の前には、智恵と福徳を授けてくれるという七福神姿のフクロウたちが出迎えてくれ、本堂の奥には見所のひとつでもある千鶴ヶ滝がありました。この滝の名前の由来には、黒田藩の三宅千鶴という武士がこの滝にこもって剣の修行をしたところにあるとも言われています。
第88番札所(大久保薬師堂)
第58番札所 大久保観音堂 第6番札所  小浦薬師堂
第13番札所 [城戸大日堂]
ここから、急な竹林を13番城戸大日堂まで下ります。
本尊は四国大日寺から勧請の十一面観世音で、大日如来は脇仏になっています。
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第74番札所[城戸薬師堂]
本尊は四国甲山寺勧請の薬師如来です。
第72番札所[田の浦拝師堂] 第71番札所[城戸千手観音堂]
本日の打ち止め
予定より早く、午後2時半にJR木戸南蔵院前駅に到着。桜満開の中、本日・7回目をもって篠栗霊場巡りの満願成就となりました。