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歩こう会・篠栗霊場めぐり   






【日時】
平成20年4月1日(火)  AM9:50 筑前篠栗駅前に集合
【参加人員】  41名
【コース】  筑前篠栗駅の広場~米ノ山展望台~若杉山・奥の院~太祖宮・食堂(昼食)~仏岩~夫婦杉~荒田高原~第二十六番札所[荒田薬師堂]~第六十四番札所[荒田阿弥陀堂]~第二十九番札所[荒田観音堂]~第六十三番札所[天狗岩吉祥寺]~第八十三番札所[千手院]~第六十五番札所[三角寺]
~第七番札所[田の浦阿弥陀堂]~第三十番札所[田の浦斐玉堂]~第八十番札所[田の浦観音堂]~藤木藤助翁石像~第五十九番田ノ浦薬師堂~第五十七番札所[田の浦栄福堂]~第五十二番札所 山手観音堂~JR山手駅

今回で4回目の篠栗四国霊場めぐり、当日はJR笹栗駅に41名が集合し、 先ずは、ハングライター発信基地の米の山展望台 までタクシーで上がりました。 展望台で絶景の福岡平野・玄界灘を一望し、早速、若杉山・山頂(標高681m)と奥の院をめざしました。昼食後より本格的霊場めぐりに入り、仏岩・夫婦杉の遍路道を下り、荒田高原(標高360m)に出て、26番札所荒田薬師大師寺を振り出しに、霊場創設の功労者である田ノ浦の藤木藤助翁像や山手の木原喜作翁碑に敬意を捧げつつ、17番山手観音堂を打ち止めとしました。 合計14ヶ寺のお遍路巡りと9kmを歩きました。 (野田 弘信)

米の山展望台
JR筑前篠栗駅から4人づつタクシーで20分(2450円)、米ノ山山頂(標高594m)に着きました。米ノ山展望所からは福岡市街の展望が大きく開け、天気が良い日は、東は芦屋/津屋崎、中央に志賀島/能古島、西は今宿方面まで見通すことができるそうですが、今日は霧のため見通しが良くありませんでした。ここは、ハングライダーの発着所です。
奥の院の駐車場で新入会員の紹介と準備体操
若杉山山頂~奥の院へ
若杉山は千二百年前、弘法大師が修行した山で奥の院は篠栗札所では番外です
若杉山山頂(標高681m)
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奥の院本堂
鋏み岩(はさみ岩)
若杉山麓から奥の院に向かう道の途中にある奇岩で弘法大師が通路を開くために、道をふさいでいた巨岩を杖で割ったというエピソードが残るそうです。岩の裂け目は、幅約30cm。4月から始まったメタボ検診でした。
太祖宮(太祖上宮神社)
太祖宮累縁起
若杉山太祖権現社は、伊奘諾尊を祝い祭るところにして相殿に天照大神、八幡大神、右殿に宝満大神、聖母大神、左殿に志賀大神、住吉大神、三座七神まします伊奘諾尊は我が国土、人民を化成し給う、祖神にまします故太祖と称し奉る。太祖神社は当郡の総社にして当村の産神なり。鎮座の始めは未詳なれども神功皇后三韓征伐の御祈りありて、凱旋の後、香椎の綾杉を分かちて此の山に植え給える由は「八幡託宣集」に見えたりいと久しき鎮座なるべし、神功皇后は遂に御社を改め造らせ給い、此の山野絶頂に西に向く宮を造らせ給う。
是れ異敵降伏の御為なり。●綾杉 宮の東北十三丁ばかり下に綾杉原というところありこれ神功皇后の手折り給いし、杉のありし所なり。  太祖宮
奥の院から荒田高原へ下山していく途中にあっつた夫婦杉
第26番札所「薬師大寺」
本尊は、四国金剛頂寺から勧請の薬師如来
第64番札所 「荒田阿弥陀堂」
「南無太師遍照金剛」の幟が数多く、本尊は、四国前神寺勧請の阿弥陀如来
第75番札所「善通寺」
ここのミツマタの花が満開でした
第29番札所 「荒田観音堂」
本尊は土佐の国分寺から勧請の千手観世音
第63番札所「天狗岩山吉祥寺」
本尊は本尊毘沙門天王
第83番札所「千手院」(本尊聖観世音)
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第65番札所「三角寺」(本尊 十一面観世音)
第7番札所「田ノ浦阿弥陀堂」
(本尊四国十楽寺勧請の阿弥陀尿来)
第30番札所「田ノ浦斐玉堂」
(本尊阿弥陀如来)
第80番札所「田ノ浦観音堂」
(本尊千手観世音)
藤木藤助翁像の碑
霊場関係者の思いと地域の先駆者を思う篠栗町観光協会のお力で再建されたばかりの真新しい藤助翁像 第59番札所「田ノ浦薬師堂」
本尊は四国伊予国分寺から勧請の薬師如来
田の浦地区の春景色
第57番「田ノ浦栄福堂」
本尊は四国栄福寺から勧請の阿弥陀如来
レンギョウの花が満開
今回の歩こう会での唯一の桜並木を歩き、JR篠栗線・山手駅に向かいました。