【日時】
平成28年2月2日(火)  AM10:10 飯盛神社境内に集合
【参加人員】    39名
【コース】  飯盛神社昇殿参拝~飯盛文殊堂~飯盛神社中宮~物見岩(ビューポイント)~飯盛神社境内~吉武高木遺跡~大型建物遺跡~やよいの風公園~吉武大石遺跡~羽根戸集会所(昼食)~壱岐丘中前バス停or飯盛神社駐車場
早良平野の一角!ご飯を盛った形をした飯盛山の麓に、西暦859年とはるか昔に 創建された飯盛神社があります。  
2月2日(火)はこの神社で本年の「息災長寿・家内安全」の祈願と三社初詣(本宮→文殊堂→中宮)を行いました。標高120mにある中宮の展望台から眺める早良平野は広大で抜群でした。
午後は、2000年前の弥生時代に栄えたとされる、早良王国の首都を防彿とさせる 墳墓がある「吉武高木遺跡」 や「大型建物遺跡」周辺を探訪しました。当日はまれに見る好天気!青空の下、新設された「やよいの風公園」で標高382mの飯盛山をバックに記念写真を撮りました。 昨年の2月の歩こう会では、西隣の高祖山を境とした「弥生時代の伊都国」を探訪しましたが、今年も全く同じ時代の歴史探訪となりました。やはり太古の昔より伊都国や早良国(?)や奴国や不弥国、私達の福岡平野は大陸文化が入りやすい絶好の地形だったのではないか!と思われてなりません。
また、九松OBの清末芳信さんが町内会長をされているご縁で、羽根戸町民集会所をお借りし、暖房の効いた会議室で全員楽しい昼食をいただきました。これも九松時代のお陰と、感謝感激でした。参加者39名、歩行距離 6km  野田 弘信
 
久しぶりに天気に恵まれ暖かい歩こう会日和となりました。。
10時には飯盛神社に集まり、世話人の野田さんから本日のコースの説明を受け、神社で本年の「息災長寿・家内安全」の祈願を行いました。
登山口となる飯盛神社は産霊の神、縁結びの神として知られています。
福岡市西区は飯盛地区、県道560号線そばの飯盛山に鎮座する「飯盛神社」は、貞観元年(859年)に創建され、古くは旧早良郡7ヵ村の一帯で信仰を集めていた有力なお社。ご祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)で、縁結びのご利益が特に知られています。かつては上宮・中宮・下宮があり、飯盛山全体が神域とされていたそうです。本殿は天明6年(1786年)に建立されたもので、龍の彫刻が大変見事なものでした。
飯盛神社境内に集合 節分の準備・神社入口鳥居  10月には流鏑馬が行われる
本殿紅梁彫刻    西側の彫刻(白虎)  東側の彫刻(玄武)
飯盛神社昇殿での参拝
パワースポット 飯盛神社
飯盛山の中腹に位置する飯盛神社は、福岡ではパワースポットとして注目されていて、西暦859年に創建された歴史ある神社。
上宮跡地の飯盛山頂は平安時代の瓦経の出土地。近くの堂には鎌倉時代の文殊菩薩像や南北朝時代の板碑がある。龍の彫刻が見事な本殿は天明6年(1786年)に建立されたもので市の文化財。社宝の狛犬一対、粥だめしの祭器具、古文献は県指定の文化財。毎年3月に年の豊凶を占う「粥占」(かゆ占)があり、秋は「流鏑馬」(やぶさめ)が奉納されてにぎわいます。
集合写真     この写真はクリックすると拡大します
三社初詣(本宮→文殊堂→中宮)の飯盛山へ。 
飯盛文殊堂
神宮寺真教院の跡地には文殊堂が建ち文殊堂には「知恵の湧水」が湧き出ていてこの水を飲むと知恵と健康を授かり、文殊堂の周りを3回まわると文殊の力を頂くことができるということから、知る人ぞ知る受験の神様です。
この地は、飯盛神社の神宮寺である真教院 (13世紀末創建)の跡地である。 奈良の西大寺の末寺であり、この地方における真言律宗の中心寺院として栄えていました。。堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があるとか。
堂前には、文殊菩薩を表す梵字を刻んだ貞和5年1349 の板碑(市指定文化財)が建っています。
飯盛神社中宮社
坂道を登るとやがてシルバーのアルミ金属製の鳥居・飯盛神社の中宮に到着。
ここ中宮社は、飯盛山の中腹(標高126.9m)で平成14年7月に再建され、アルミ合金製の明神鳥居としては日本一と言われています。
この鳥居は飯盛山の麓からも確認することができます。御祭神の五十猛尊は有功神(いさおしのかみ)とも言われ、素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)の御子神で、森林守護の神として信仰されています。
 アルミ合金製の大鳥居  社殿
 
 集合写真     この写真はクリックすると拡大します
飯盛神社中宮より左回りで坂道を登り、あじさいの路、野鳥の森、カブトムシの森から百貫石・物見岩へ
百貫石・物見岩
花崗岩からなる山で、名前を付けられた巨岩が山腹のあちこちに点在する。評定石、迎え石、磐座(イワクラ)など。
 百貫石に登ると福岡市街・左は福岡タワー・福岡ドーム・博多湾・糸島が一望できました。
 
 
午前中に飯盛山を下山。昼からは2000年前の弥生時代に栄えた早良王国の首都を防彿とさせる墳墓がある「吉武高木遺跡」 や「大型建物遺跡」周辺を歩きました
 吉武高木遺跡~大型建物遺跡
「吉武高木遺跡」は福岡市の西区早良平野にあり飯盛山山麓に広がる扇状地で、真中を室見川が流れ南には佐賀県と境を接する背振山系がひかえています。川を下れば程なく玄界灘にいたる場所でこのあたりは吉武遺跡群として知られ、高木遺跡以外にも「吉武大石遺跡」、「吉武桶渡遺跡」などが弥生の遺跡として有名です。
「吉武高木遺跡」は弥生前期末から中期初頭の遺跡で、「多紐細文鏡」(たちゅうさいもんきょう)をはじめとする鏡や青銅器、勾玉など、豪華な副葬品が出土した事と、弥生前期としては初めての、「高殿」と呼ばれる大型建物の跡が発見された事により一躍有名になりました。 
 
王の墓としては国内で最も古い弥生時代前期の墓が発掘された福岡市西区の「吉武高木遺跡」について、福岡市は、多くの市民に知って もらおうと、平成24年度から史跡公園として整備することになりました。 「吉武高木遺跡」では、王の墓としては国内最古の弥生時代前期の墓や、集落の跡などが見つかり、平成5年に国の史跡に指定されまし た。発掘調査などのため市民は立ち入ることができませんでしたが去年、調査が終わったことを受けて、福岡市では、多くの市民に遺跡 を知ってもらおうと、遺跡の面積の半分を超える2万3400平方メートルを史跡公園として整備することになりました。
 発掘当時の吉武高木遺跡
2010年夏、西日本新聞に載った早良王国の記事
やよいの風公園~吉武大石遺跡
弥生時代の「国」のはじまりを今につたえる国史跡吉武高木遺跡に歴史公園(愛称:やよいの風公園)を整備中。その一部である芝生広場について、この度供用を開始しました。芝生広場には、公園の名称と,甕棺に刻まれていた2頭のシカを刻んだ銘板を設置。西側に飯盛山を望み、その愛称のとおり心地よい風が吹いています。平成28年度のフルオープンにむけて、地域とともにやよいの風公園をもりあげていきます。
 当日はまれに見る好天気!青空の下、新設された「やよいの風公園」で標高382mの飯盛山をバックに記念写真を撮りました
 集合写真     この写真はクリックすると拡大します
 吉武大石遺跡は吉武高木遺跡の北西側に位置し、弥生時代前期末~中期後半の甕棺墓202基、木棺墓8基、土壙墓13基、祭祀遺構5基が発見されました。この遺跡は南西方向から約450mも延びる「甕棺ロード」と言われる墓地群の一部と考えられています。その内、前期末~中期初頭の甕棺墓・木棺墓13基より銅剣、銅戈、銅矛の武器(11口)、玉類が出土しました。また、磨製石剣の切先や磨製石鏃なども出土しています。これらは副葬品というより戦いによって体内に残った可能性があります。この遺跡では吉武高木遺跡と同様に多数の青銅器が出土しました。しかし、装身具である玉類等は少なく、石剣の切先等が見られることから、これらを戦士の墓と考える説もあります。
 
 九松OBの清末芳信さんが町内会長をされているご縁で、羽根戸町民集会所をお借りし、暖房の効いた会議室で全員楽しい昼食をいただきました。昼食後は解散となり、バス停や駐車場へそれぞれ帰路につきました。本日は大変おつかれさまでした。
   

次回の歩こう会は平成28年4月5日(火))  糟屋町・駕籠丁池周辺を歩く。
歩こう会100回まで後9回(1年半)です。頑張りましょう