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【日時】
平成25年12月3日(火)   福岡地下鉄・千代県庁口駅  AM10:00集合
【参加人員】       44名
【コース】   福岡地下鉄・千代県庁口~崇福寺(そうふくじ)~筥崎八幡宮~(電車)~名島城跡~水上飛行跡~帆柱石~九電火力発電所跡~名島公民館あ(昼食・休憩)~(電車移動)~東長寺~聖福寺~JR博多筑紫口・忘年会(わざわざ)
平成26年1月5日より放映される、NHK大河ドラマ「軍師:官兵衛」に先駆け 12月3日(火)地下鉄千代県庁口駅に44名が集合!近くの黒田家菩提寺「萗福寺」にある黒田家墓所の「官兵衛公」の墓にお参りしました。つづいて、九大病院構内にある千利休の「窯掛けの松」を訪ねた後、当時の唐津街道を箱崎宿方面に歩き、豊臣秀吉が島津征討の後、九州緒大名の国割りをした「箱崎八幡宮」にお参りしました。 午後は、地下鉄で多々良川を渡り名島駅へ!関ヶ原合戦直後、黒田官兵衛・長政親子が居城とした「名島城」を三の丸→二の丸→本丸へと400年前の当時を偲びつつ探訪しました。名島は歴史一杯の所で、名島公民館の方々の協力をいただき、古くは神効皇后の帆柱石、近代では福岡発展の象徴と言える「水上飛行場跡」や「九電火力発電所跡」等も探訪する事が出来ました。博多への帰りは、地下鉄で呉服町駅へ移動しもう一つの黒田家墓所「東長寺」を訪ね、最後は、秀吉・官兵衛が協力し復興させた博多の町!「太閤町割り」の中心線である大博通りを一気に歩きJR博多駅近くの「わざわざ」にて年一度の楽しい「忘年会」となりました。 参加人数44名    本日の走行距離6km 野田 弘信
 写真撮影:福永攻治 
 心配した天気も回復し、AM10時に地下鉄・千代県庁口に集合。早速黒田家代々のお墓がある崇福寺に向かいました。
 崇福寺(そうふくじ)
山門(さんもん) 
旧福岡城の表御門を移築したもので、黒田家との関わりの深さがうかがえる山門。切妻造、本瓦葺の二階建てで、左側に潜戸があるため、扉は中央よりやや右側に設けられていてこれも福岡城本丸の表門として使用されていた面影です。県指定文化財の建造物。 福岡城本丸表御門を大正7年陸軍より払い下げを受けたもの。
崇福寺は隋乗坊堪慧(ずいじょうぼうんたんね)禅師によって仁治元年(1240)に大宰府に創建されました。隋乗坊堪慧禅師は承天寺を開いた聖一国師(しょういちこくし)の弟子で、聖一国師とともに宗(中国)に渡り学びました。
慶長6年(1601年)に黒田長政が太宰府にあった当寺を現在地に移して黒田家の菩提寺としました。山号は横岳山(おうがくざん)といいます。
境内の奥にある黒田家の墓地はきれいに整備されて、NHKの大河ドラマのためか官兵衛のゆかりの地や生い立ちのパネルが掲示していました。
軍師・黒田官兵衛
負け知らずの天才軍師、
この男がいなければ豊臣秀吉の天下はなかった。

○博多を復興し、福岡に城下町をつくった。福岡の基礎をつくった。
○福岡という地名は官兵衛が名付け親
  官兵衛の祖父の備前の福岡(現岡山県瀬戸内市)にちなんで
  名付けました。
○大宰府天満宮を再興したのも官兵衛だった。
境内の墓地は黒田如水や黒田長政親子をはじめ四代、六代、七代、九代の藩主の巨大な墓があります。他の藩主の墓は博多区御供町の東長寺の黒田家墓所にあり、両墓地とも市史跡に指定されています。
一般墓地にも黒田家ゆかりの人々の墓や博多の豪商だった島井宗室、私塾興志塾を開設した高場 乱(たかば おさむ)、アジア主義を主張する政治団体 玄洋社関係者である頭山満、来島恒喜などの墓などもあります。 
黒田家墓所の「官兵衛公」の墓にお参りしました 
唐門(からもん) 
旧名島城門で唐門の中では市内最古のものだそうです。桃山時代の作柄そのままではなく、江戸時代初期に改築されたものと推定されていて県指定文化財の建造物。 
次は九大病院構内にある千利休の「窯掛けの松」を訪ねました。 
 利休釜掛の松
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。 
この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。 
その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。 
 
当時の唐津街道を箱崎宿方面に歩き、豊臣秀吉が島津征討の後、九州緒大名の国割りをした「箱崎八幡宮」にお参りしました。 
 筥崎八幡宮
このような形の鳥居を、筥崎鳥居といいすぐ前の国道3号線の先は玄界灘で半島への備えの八幡様をお祀りしています。 日本三大八幡宮の一 。黒田長政が慶長14年(1609)に建立した一ノ鳥居「 慶長十四年、藩主黒田長政建立 」をくぐって真直ぐ海まで延びる参道を進むと箱崎浜(お汐井浜)へ。黒田如水の長男で福岡藩初代藩主。 文禄・慶長の役の際、長政公は半島で戦っています。
 
筥崎宮の集合写真 (この写真はクリックすると拡大します)
地下鉄筥崎宮の入り口から見た筥崎宮神苑花庭園の紅葉が綺麗でした。
 
午後は、地下鉄で多々良川を渡り名島駅へ!関ヶ原合戦直後、黒田官兵衛・長政親子が居城とした「名島城」を三の丸→二の丸→本丸へと400年前の当時を偲びつつ探訪しました。名島は歴史一杯の所で、名島公民館の方々の協力をいただき、古くは神効皇后の帆柱石、近代では福岡発展の象徴と言える「水上飛行場跡」や「九電火力発電所跡」等も探訪する事が出来ました 。
名島は歴史の町
その昔、名島の地で秀吉が優雅な茶会を開いたことを知っていますか。
リンドバークが立ち寄った水上飛行場があったことを知っていますか。
名島水上飛行場と当時の海岸の縁石
昭和5年開場し大阪と中国の上海へ水上機による定期空路が開かれ9年に閉鎖。1931年(昭和6年)にはリンドバーグ夫妻がシリウス号で飛来し、3000人の観衆が見守る中無事着水に成功。当時は見物人より女が降りてきたと驚いたそうです。
今は埋め立てられ、城浜団地の一角に在ります。
右の写真はかつての岸壁で縁石の右側が空港側、左側が海です。
 名島水上飛行場と右の写真の左側に九電火力発電所が見えます。
2本のクレーンが見える場所が上の写真の
水上飛行場跡がある場所です。
 
 名島城跡
天正十六年(1588)、九州を平定した豊臣秀吉は、この地に城を築くよう小早川隆景に命じ、名島城を九州守護の拠点としました。慶長五年(1600)には福岡藩初代藩主黒田長政が入城しましたが、福岡城の築城に伴い廃城となりました(『城址案内板』より)。
 東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、慶長12年(1607)の福岡城完成、移転に伴い廃城となった。
 
本丸城址碑   隅櫓跡(北西隅の突き出した曲輪上にある)  
名島城絵図   新築になった名島神社
 
国指定天然記念物の名島帆柱石跡
名島神社下の海岸の整備されている遊歩道の一角に名島帆柱石9個がありました。香椎宮の社伝によると神宮皇后の三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったといわれていますが実際は漸新世(ぜんしんせい)前期(約3700万年前)頃の第三紀の地層から出土したカシ属の木の幹の化石だそうです。国指定天然記念物。
 
 名島海岸の整備されている遊歩道 九電火力発電所跡・4本の煙突 
 
 名島公民館で昼食・休憩
昼食後は名島駅へ。電車で呉服町に行き東長寺まで歩く。
地下鉄で呉服町駅へ移動しもう一つの黒田家墓所「東長寺」を訪ね、最後は、秀吉・官兵衛が協力し復興させた博多の町!「太閤町割り」の中心線である大博通りを一気に歩きJR博多駅近くの「わざわざ」にて年一度の楽しい「忘年会」となりました。  
東長寺 
真言宗九州教団の本山で、弘法大師(空海)によって開かれました。平安時代初期の僧で、真言宗の開祖である弘法大師は大同元年(806年)、唐での修行を終え博多に帰着。真言密教が東方へ広がることを祈願し「東長寺」と名付けました。大師はこのとき33歳、弘法大師創建としては日本最古の寺院です。本堂には、弘法大師自作と伝えられる弘法大師像、平安時代に制作された国指定重要文化財の木造千手観世音菩薩立像、弘法大師作といわれる不道明王立像の三体が据えられています。また、大仏殿には日本最大の木造座像「福岡大仏」が鎮座し、多くの人が拝観に訪れます。
 
 集合写真 (この写真はクリックすると拡大します)
 《黒田家の菩提寺》
この東長寺は黒田家の菩提寺の一つで二代 忠之(ただゆき)、三代 光之(みつゆき)、八代 治高(はるたか)の三藩主が葬られています。 藩祖 如水、初代藩主 長政など他の藩主の墓は博多区千代町の崇福寺です。
 
聖福寺からJR博多筑紫口・忘年会(わざわざ)へ 
  加藤 司書(かとう ししょ、文政13年3月5日(1830年3月28日) - 慶応元年10月25日(1865年12月12日))は、江戸時代末期(幕末期)の武士。福岡藩家老。名は徳成(のりしげ)。月形洗蔵らとともに勤皇派の中心として活躍した。
   
 恒例の忘年会開催
本年度、恒例の歩こう会忘年会は博多駅筑紫口近くのわざわざでした。今回もおいしい料理と飲み放題のお酒で楽しく、親睦を図り、最後は恒例の祝いめでた・博多1本締めで閉会となりました。次回の歩こう会は第79回 新春三社詣でを兼ね!長崎・諏訪神社  諫早~長崎の長崎街道を歩く(バス旅行) 2014年2月4日(火)開催です。