【日時】
平成24年9月4日(火)
【参加人員】      39名
【コース】   福岡市・天神日銀前~古賀SA~門司SA~小月IC~角島大橋(バス下車展望所)~角島灯台~角島支所(昼食)~土井ケ浜遺跡(人類学ミュージアム)~下関市・村田蒲鉾店~下関IC古賀SA~福岡IC~天神到着
響灘に浮かぶ下関市角島は朝から快晴!岬にそびえる30mの洋式灯台(明治9年完成)を起点として、広大な海!美しく澄んだ青い海!を見ながらしばし歩く。昼食は下関市役所のご好意により、角島支所「研修室」にて各自持参の手弁当をいただく。 午後は、土井ケ浜の砂丘の中から発掘された300体の渡来人の人骨を見学。 専門家の説明を受け、2000年前の私ども日本人のルーツを知ることができました。 今回は年一度の遠距離探訪でバスを利用し、歩行距離はチョット短めの3km。 (野田 弘信)
写真撮影:福永攻治
福岡市・天神日銀前~古賀SA~門司SA~小月IC~角島大橋
天神日銀前をAM8:00に出発し、途中九州高速道・門司SAで本日の昼食を購入。バスでは遺跡のビデオで予備知識を入れ、中国自動車道小月ICで降りて国道491号~県道34号~国道435号を経由して、国道191号線を北上。県道275号線をさらに北上、小月ICからは約60分で角島大橋に到着しました。
 門司SAからの関門海峡
一ノ俣温泉から豊北、角島の特牛(Tokkoi)へ抜けるR435を下っていると右手に巨大な風車群が見えてきました。
白滝山に建設した CEF白滝山ウインドファームで巨大な風車は全部で20基あるそうです。しかし風車はあまり廻ってなくて採算が気になりました。
角島大橋(海士ヶ瀬公園)
AM10:30に角島大橋に到着。
この橋は山口県下関市の北西部、西長門国定公園にあり、全長1,780m、離島に架かる無料の橋としては日本で二番目に長い(日本一は沖縄県の古宇利大橋1,960m)。海と橋が調和したその美しい景観から、2000年11月完成以来、数々のCMロケ地にもなっています。ここは九州・本土のなかで海がきれいな所として有名ですが、当日は天候に恵まれ輝くエメラルドグリーンの海にかかる角島大橋は最高に綺麗でした。 
エメラルドグリーンの海と、途中に浮かぶ小さな島(鳩島)、角島と角島大橋、このバランスが絶妙で写真になります。 
 角島はこんな島です
角島は山口県の北西、日本海にぽっかりと浮かぶ、つつみの形をした、人口860人(2011年)あまりの島です。2000年の角島大橋完成にともない、一気に山口県を代表する人気観光スポットになりました。角島の魅力は、なんといっても白い砂浜とエメラルドグリーンの海で日本海とは思えない、南国の海と錯覚してしまいそうな光景が広がります。
角島を含めた山口県北部の海岸線は、北長門海岸国定公園として指定されており、角島は特に美しいと評判です。この美しさゆえ、さまざまな映画やテレビ番組やコマーシャルのロケ地として、たびたび取り上げられています。
○通行料金無料の離島架橋と日本第二位の長さを誇る角島大橋、
○明治9年に初点灯後、130年以上経った現在でも、現役で毎日点灯している総御影石造りの洋式灯台の角島灯台、
○全国でも指折りの透明度の海と、さらさらの白い砂浜の角島大浜海水浴場としおかぜコバルトブルービーチそして水平線に沈む夕日の美しさなどなど、角島は見どころいっぱいの島です。
 
 (この集合写真はクリックすると拡大します)
 角島灯台・角島灯台公園
島の最西端に立つ角島灯台(市の有形文化財指定)は、明治9年に初点灯し、日本海に面した物としては最初の洋式灯台で、今なお現役で活躍中だそうです。その高さは29.6mもあり、あらゆる角度から見ても美しい御影石造りの円形灯台です。その美しさは「あなたが選ぶ日本の灯台50選」にも選ばれています。105段のらせん階段を上ると、屋上の踊り場からは360°の絶景パノラマが広がっていました。
隣接の灯台記念館は、角島の歴史や日本各地にある灯台が紹介されていました。
 
  映画「四日間の奇蹟」ロケセット
下の写真の右側にある礼拝堂は
角島をロケ地として撮影された映画「四日間の奇蹟」(原作:浅倉卓弥、監督:佐々部清、出演:吉岡秀隆、石田ゆり子、松坂慶子、西田敏行...)で使用されたロケセットです。
映画「四日間の奇蹟」は、不測の事故で夢を断たれたピアニストと2人の女性に舞い降りた、4日間だけの奇蹟にまつわるファンタジック・ラブストーリーです。平原綾香さんが歌う主題歌が、角島の風景にぴったりマッチしていました。映画「四日間の奇蹟」の中ではこの礼拝堂が、とても重要な役割をはたしています。
余談ですが、礼拝堂のロケセット、公衆トイレをセットで覆ったものなので、現在は公衆トイレとして利用できるそうです。
 角島灯台・踊り場からの風景  ロケ地の角島大浜海水浴場・キャンプ場 
夢崎波の公園は、角島灯台公園に隣接した公園で、日本海に沈む夕日を見ることのできる絶好のスポットだそうです。この夢崎波の公園は、灯台の設計者であるイギリス人技師プラントンにちなんで、英国風につくられ ハマオマト(ハマユウ)、ダルマギク、ハマヒルガオ、スイセンなど角島自生の草花を1年を通 して楽しむことができるそうです。  
角島灯台
(この集合写真はクリックすると拡大します) 
 
角島支所(昼食・休憩)
角島支所のクーラーがある部屋で昼食・休憩をして 再度、角島大橋を渡り、土井ヶ浜遺跡へ向かいました。
 
土井ケ浜遺跡(人類学ミュージアム)
国内唯一の人類学専門博物館。約300体の弥生時代の人骨や副葬品が出土した遺跡
土井ヶ浜遺跡は、山口県の北西部、
日本海側に近い豊浦郡豊北町の響灘に面した砂丘で発見された推定約1万平方メートルにも及ぶ弥生時代の墓地遺跡です。
93年には出土遺物を収蔵する土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムが開館しました。
酸性土壌の日本では、土井ヶ浜のような砂丘や貝塚、洞穴に遺体を埋葬するか、あるいは吉野ヶ里のように甕棺などの容器に遺体を入れて、まわりの土に触れないようにしない限り、人骨は残りません。
土井ヶ浜遺跡では、墓地を厚く覆った砂のなかに、海岸から吹き飛ばされてきた貝粉が非常に多く含まれており、貝に含まれているカルシウムが長い年月の間に溶解し、骨に浸透したことによって、他の遺跡と比較しても骨が良く残っていることに特色があります。
 ミュージアムで3D映像を鑑賞 弥生時代には、鳥は天上の神の国と地上の国との間をとりもつ使者であり、豊作をもたらす穀霊や、祖先の霊魂を運ぶものと信じられていました。鵜を抱いて埋葬されたこの女性は、土井ヶ浜で唯一鉄製品を副葬されており、巫女的な人物と推定されています
土井ヶ浜遺跡
山口県響灘 土井ヶ浜遺跡は、
山口県の北西部、日本海側に近い豊浦郡豊北町の響灘に面した砂丘で発見された推定約1万平方メートルにも及ぶ弥生時代の墓地遺跡です。1953年以来、11次以上にわたる調査で300体近い人骨が出土し、1962年に国の史跡に指定され、1990年には遺跡の一部を覆う土井ヶ浜ドームが完成し、93年には出土遺物を収蔵する土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムが開館。

弥生前期の人骨が砂浜から忽然とあらわれたこの遺跡では、1953年から九州大学医学部金関丈夫教授を中心に本格的な発掘調査が5年間にわたって行われ、驚くほど保存状態のよい人骨は200体を超え、朝鮮半島との繋がりを物語り、土井ヶ浜遺跡は弥生文化像を大きく塗り替えた記念碑的遺跡といえるそうです。 
 土井ヶ浜遺跡では、墓地を厚く覆った砂のなかに、海岸から吹き飛ばされてきた貝粉が非常に多く含まれており、貝に含まれているカルシウムが長い年月の間に溶解し、骨に浸透したことによって、他の遺跡と比較しても骨が良く残っていることに特色があるそうです。
この響灘の砂浜に埋葬された弥生人たちは、おしなべて朝鮮半島、大陸の方向に顔を向けて埋葬されていたそうです。
自分達の故郷を憶いながら安らかに眠れるようにと、このような埋葬方法が行われていたようです。
 石棺墓には複数の遺体が埋葬された“合葬”、後から新しく遺体を埋葬した“追葬”などが見つかっています
 英雄の死
矢じりを山ほど射こまれて埋葬されていた事から、部族の剛勇だったそうです。
五体埋葬の石棺 
石棺に5体まとめて埋葬されている方が身分が低いそうです。
土井ヶ浜で発掘された人骨の分析などによって、山口県から九州にかけての地域には三つのタイプの弥生人が存在しました。
この三タイプのうち、「西北九州」と「南九州・南西諸島」タイプは、実はそれぞれの地域の縄文時代人の特徴を示したもので、縄文人の子孫だと考えられます。
そして「北部九州・山口」タイプこそが、大陸から渡来した弥生人かその子孫であることが判明しているそうです。
第一のタイプが、吉野ヶ里や土井ヶ浜で発掘された「北部九州・山口」タイプで、顔の高さが高く(長く)、身長も高く、顔のホリが浅い扁平な顔つきの弥生人です。
第二のタイプは長崎や熊本などから出土した「西北九州」タイプで、顔の高さは低く、横幅が広く、低身長で鼻が高く、ホリの深い弥生人。
第三のタイプは、鹿児島県南端や南西諸島から出土した「南九州・南西諸島」タイプで、
「西北九州」タイプよりさらに「低・広顔」傾向が強く、著しい低身長の弥生人です。
 この土井ヶ浜遺跡を見学して、日本人のルーツの一つの流れが、コバルトブルーの美しい海が広がっている彼方にあると実感できました。
村田蒲鉾店
本日の最後は 運転手さんの紹介で下関の蒲鉾店に立ち寄りました。ほとんどの人が試食のカマボコ・揚げてんを食べながら、威勢のいいお姉さんの声につられ、沢山のお土産を購入。約10万円の買い物でした。さすが日本経済をささえている団塊世代の皆さんでした。
 
今回の歩こう会は天候に恵まれ、角島の眩いコバルトブルーの海を堪能し、遺跡見学では日本人のルーツを研修できました。
帰りは下関IC
から古賀SAへ、途中若宮IC近くで渋滞に会いましたが、予定より早く天神に到着し、解散となりました。