大分県立歴史博物館(宇佐風土記の丘) |
小雨の中、最初は宇佐市にある大分県立歴史博物館に寄りました。国宝の富貴寺大堂や臼杵石仏の実物大模型をはじめ、「くらしと祈り」を中心に大分県の歴史と文化をテーマ別に紹介していました。歴史博物館では職員の詳細な解説を聞いて、改めて宇佐八幡宮を中心として国東半島に築かれた神仏習合の世界に触れることができました。 |
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太郎天像と二童子像(長安寺) |
宇佐八幡宮・M型 |
富貴寺大堂内陣 復元費用1億円 |
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大分県立歴史博物館 臼杵石仏の実物大模型 |
参加者の集合写真 (クリックすると拡大します) |
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宇佐神宮(宇佐八幡宮) |
宇佐神宮(宇佐八幡宮)は725年の創建と伝えられる豊前一宮。全国4万余りある八幡様の総社に当たり、伊勢神宮に次いで朝廷の崇敬(すうけい)を受けた屈指の名社です。
最奥にある上宮(じょうぐう)本殿は1861年に再建されたもので八幡造りの国宝となっています。上宮の御祭神は
(1)一之御殿には八幡大神(応神天皇)(2)二之御殿には比売女大神(ひめおおかみ)(3)三之御殿には神功皇后(息長帯姫命-おきながたらしひめのみこと)が祀られています。
下宮(げぐう)は御饌(みけ:神様の食事)をつかさどる聖域で農業や一般産業の発展・充実を お守りになる神様です。ここにも一之御殿、二之御殿、三之御殿とあり、祀られている祭神は上宮と同じです。
上宮、下宮
以外にも広い境内には若宮神社や春宮神社、亀山神社、八坂神社など多く境内社があります。
参道脇には宝物館があり、重文の銅鏡や大内義弘寄進の神輿などを展示しています。 |
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一の御殿に応神天皇(おうじんてんのう)二の御殿に比売大神(ひめおおかみ) 三の御殿に神功皇后(じんぐうこうごう)を祭っています。出雲大社と同じく、参拝方法は二礼四拍手一礼です。
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宇佐神宮のパワースポット |
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川中不動 |
六郷満山の峰入り修行の寺院であった天念寺の前の長岩屋川の大岩に高さ3.23メートルの不動明王と2童子『制多迦(せいたか)童子 矜羯羅(こんがら)童子』が彫られていました。水害防除の願いをこめて造られたそうです。
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左より①制多迦童子 ②不動明王 ③矜羯羅童子 |
長岩屋川の大岩に彫られている川中不動と奥は天念寺 |
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天念寺 |
長岩屋山天念寺(ながいわやさんてんねんじ)といい、養老二年(718)に仁聞(にんもん)菩薩が開基したと伝えられる古刹です。
かつては十二院坊のあった六郷中山本寺で、本堂には県指定の木彫仏五体がああります。この寺は“鬼会(おにえ)行事”の寺として知られ旧正月七日の夜六郷満山寺院から集まった役僧たちの読経に始まり長さ4mあまりの大たいまつに点火され勇壮な鬼の法舞が行われる行事で国指定重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
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天念寺阿弥陀如来立像について
いま天念寺には木彫仏五体があり、県指定重要文化財となっています。この仏像は、もともとは六体あって、六体で国宝(昭和25年の文化財保護法制定後は国指定重要文化財)になっていました。
しかし、昭和16年の大水害で流された同寺本堂の再建資金を得るために、昭和36年に中心の仏像であった阿弥陀如来立像は売られ、埼玉県入間郡名栗村の鳥居観音に本尊として迎えられました。
このとき、中心の仏像が欠けたために国の重要文化財の指定は外され、残りの五体が県指定重要文化財となり、今にいたっています。しかし、大分県や豊後高田市や地元の尽力により阿弥陀如来立像は9000万円で買い戻され、平成9年11月13日に40年ぶりに無事里帰りを果たすことが出来たのです。今、天念寺阿弥陀如来立像は天念寺そばにできた
伝統文化伝習施設「鬼会の里」に展示されています。
この仏像は平安時代後期(12世紀)の作で高さ198cmの檜の一木造です。温和な表情や簡略された衣文(えもん)に特徴があり、粗野の中に温かみがある仏像は、都の仏師ではなく地元の仏師の作であろうと考えられています。
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元宮磨崖仏 |
元宮磨崖仏は高さ3m、幅6mの 仏龕(ぶつがん:岸壁を堀り空けて仏像を安置したもの)をもうけ、向って右から ①毘沙門天(びしゃもんてん:多聞天ともいい七福神の一人)
②矜羯羅童子(こんがらどうじ:不動明王の脇侍) ③不動明王(ふどうみょうおう:大日如来の化身) ④持国天(じこくてん:東方守護神) ⑤地蔵菩薩の五躯(じぞうぼさつのごく:六道済度の菩薩)の5立像が薄肉彫(うすにくぼり)されています。
制作年代は室町時代(1394~1573)後期と推定されており、“地蔵菩薩の五躯”は後の時代の追刻であろうといわれています。昭和30年には国指定史跡となっています。
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真木大堂 |
六郷満山65ヶ寺のうち本山(もとやま)本寺として36坊の霊場を有した最大の寺院であった真木大堂。
現在、真木大堂の名で知られる馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)跡は、大分県豊後高田市田染真木にあり、江戸時代の建物である本堂とは別に、昭和30年代に新造された収蔵庫内に阿弥陀如来座像をはじめ、大威徳明王像、不動明王像、二童子立像、四天王立像の計9躯の平安仏を伝えています。
約700年前に火災のため焼失してしまったが、現存する9躯の仏像は当時の人々の厚い信仰と守護のもとに難を免れて今日に至っています。
現在の真木大堂は伝乗寺の各寺坊が衰退したので本尊をこの一堂に集めたものだそうです。
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真木大堂旧堂 |
真木大堂旧堂で、正面朱塗りの扉には皇室の御紋章がありました。
これは、今から約700年前、鎌倉時代に蒙古軍の来襲のとき鎌倉幕府は教書を発し豊後守護職はこれをうけて六郷満山の寺院に対して異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発した。仁聞菩薩八幡大菩薩の霊場であり、36坊の霊場を5ヶ寺の中枢であった馬城山伝乗寺で国難を救うため長期にわたり異国降伏の大祈祷が行われた。
その恩賞として弘安8年10月16日に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が授けられたそうです。
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六面六臂六足の騎牛像 |
阿弥陀如来座像・四天王立像 |
不動明王像・二童子立像 |
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5時過ぎには安心院にある亀の井ホテルに到着し、温泉入浴後の宴会はお酒も食事も大変満足でした。
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6月8日・2日目 まずは昨日雨で行けなかった熊野磨崖仏へ |
熊野磨崖仏・胎蔵寺 |
田原山(鋸山)の西側に位置する熊野地区にある熊野磨崖仏があるこの地区は下より胎蔵寺(たいぞうじ)、熊野磨崖仏、熊野神社があり、駐車場から約300m(約15分程度)急な坂道を登りました。磨崖仏近くには鬼が一晩で築いたと言われている乱積の石段がある。この石段の頂上部が奥の院となっており、その左下が熊野磨崖仏でした。
熊野磨崖仏は高さ8mの不動明王像と高さ6.7mの大日如来像の2体が彫られていて制作年代は奈良時代とも鎌倉時代とも言われており定かでないが、造形から不動明王像が古く、頭に大仏のようなブツブツ(これ羅髪という)のある大日如来像は後に彫られたものであろうと推定されているそうです。国東を代表する見事な磨崖仏で国重文と国史跡の二重指定を受けているそうです。
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鬼が一晩で築いた乱積みの石段を登る |
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参加者の集合写真 (クリックすると拡大します) |
左は高さ8mの不動明王像と右は大日如来像(大仏のように頭に羅髪(らほつ)がある)
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仁王像のある胎蔵寺 |
5枚の金のシール貼って宝くじが当たるそうで早速ご利益にと貼りました。
本当は金箔を貼るもので、タイとかミャンマーのように金を貼って人々が功徳を積むという風習で仏教では、金は不滅を現すものだそうです。
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富貴寺 |
富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院で阿弥陀堂は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であるとともに国宝に指定もされています。『仏の里くにさき』を代表する文化財だそうです。
富貴寺大堂とその中に収められている本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の茅の巨木から六郷満山寺院の大半を開いたとされる仁聞菩薩の手によって刻まれたと伝えられ大堂内は極楽浄土の世界を描いた壁画があり、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されていました。
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日本三大阿弥陀堂に数えられる富貴寺大堂(国宝) 「おおどう」 |
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長安寺 |
天台宗金剛山長安寺は、養老年間(717~724年)に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)の開基と伝えられる六郷山中山(なかやま)本寺の一つで、古くは「屋山(ややま)寺」または単に「屋山」と称していました。平安末期、太郎天童子の仏光と共に次第に勢力を増し、鎌倉時代には六郷満山の惣山として満山百余ヶ寺を統括し約一千の僧を統率のもと、鎮護国家の祈願の任に当たっていたといわれます。収蔵庫にある藤原時代の秀作「太郎天像と二童子立像」や「銅板法華経」、それを納める「経筥(きょうばこ)」などが国指定重要文化財になっています。 |
六郷満山仏教文化を今に伝える天台宗の古刹(こさつ)「長安寺」 |
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両子寺 |
養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰、標高721mの両子山の中腹にあり、奥の院、総門、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。
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◆ 国東半島最大級の石像の仁王像(仁王門) |
両子寺(ふたごじ)は、国東半島の中央にそびえる両子山(標高721m)の中腹にあり、六郷満山の中では中山(なかやま)本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括していた古刹(こさつ)だそうです。参道や広い境内には、護摩堂、書院、稲荷堂、大講堂、奥の院などの建物や国東塔、百体観音、仁王像などが配されています。子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全など各種祈願・供養が一般、檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。 |
参加者の集合写真 (クリックすると拡大します) |
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文化11年(1814年)の作と伝えられている参道の仁王像は、国東半島最大の石像仁王で見事な均整美で、睨みをきかせていました。 |
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護摩堂で住職より、説明がありました。 |
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奥の院の手前の庭園は、霧と新緑でしっとりとしたいい雰囲気でした。 |
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昼食は国東町田深にある割烹・志まるで、生きのいい刺身、揚げたてのてんぷらとご馳走でした。 |
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文殊仙寺
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国東半島のほぼ中央の文殊山(617m)の山腹にある文殊仙寺。この寺は国東六郷満山霊場第25番札所で僧仁聞が創建した六郷山末山本寺の1つだそうです。
日本三大文殊の一つで「3人寄れば文殊の知恵」の諺の発祥の地としても知られる由緒あるお寺で文殊仙寺では毎年正月の2日に、椎茸がたっぷりと入った“知恵がゆ”を参拝者に振舞っています。また、地元では小学校入学までには必ず知恵をもらいに文殊仙寺を訪れ、文殊の知恵を授かり無病息災を祈願するのが風習であるという。奥の院では岩窟から霊水が湧出しており、「知恵の水」として崇められていますが、運よく志まるさんの依頼で飲むことができました。
境内には参道途中にある仁王像や日本一の大きさの宝篋印塔、12年に1度しか公開しない奥の院の本尊文殊菩薩などがあります。
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参道の300段の石段と仁王像 奥の院 |
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多くの羅漢像がありました |
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副住職のお話の後、早速、知恵の水をいただきました。今更、頭が良くなってどうするといいながら全員頂きました。 |
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岩戸寺 |
六郷満山末山本寺であった岩戸寺。寺の入口には一対の仁王像が立つ。この仁王像の右は文明10年(1478)の作で、在銘の丸彫り仁王像としては我が国最古のものだそうです。本尊は木造薬師如来像(高さ95.5cm)でカヤの一本造りである。この仏像は平安後期の作で千年以上の年月を経ている優秀作である。
寺の裏には弘安6年(1283)の銘のある国東塔(高さ3.4m)があり、国東半島に約150基ばかりある中で最古で国宝の国東塔です。
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我が国最古の丸彫り仁王像 |
ここもも参道には鳥居、本堂内は しめ縄とこれぞ神仏混合 |
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国東塔(くにさきとう)とは、国東半島に数多く見られる納経や生前供養、墓標などの目的で造られた宝塔。岩戸寺の国東塔(写真左)は、弘安6年(1283年)の銘がある高さ3.4mの宝塔です。国東半島に約150基ばかりある中で最古・最優の国東塔であると言われ、国宝に指定されています。今回は修理中で見ることはできませんでした。 |
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