【日時】
平成20年2月12日(火)  AM8:30 天神日銀前に集合
【参加人員】  46名
【コース】  天神・日銀前~古賀インター(休憩・乗車)~直方藩主居館跡~直方藩主黒田家墓所~直方・多賀神社~直方陣屋城下町~博多屋~長崎街道・尾関口~車中にて昼食~旧伊藤伝右衛門邸~飯塚コスモスコモン(ひなまつりメイン会場)~嘉穂劇場~天神・日銀
2月12日、江戸時代の九州一の幹線道路「長崎街道:筑前六宿」の直方~飯塚宿をバスを利用しながら要所々を歩きました。中でも街道に面して建てられている筑豊の石炭王の旧宅「伊藤伝衛門邸」の広大な庭と建物には圧倒されました。また数年前の大水害から復興された「嘉穂劇場」も隅から隅まで見学することができ、飯塚市民あげて一丸となって始まっている「雛まつり」のスケールの大きさに感心されました。歩行距離4km   (野田 弘信)
直方藩主居館跡 直方石炭記念館・SL(c11-131号)の展示場
黒田直方藩5万石の産土神として栄えた多賀神社
西徳寺にある直方藩主黒田家墓所・藩主黒田高政墓を訪れました。
直方は江戸時代になって約100年間は、黒田藩の分藩・直方藩として城下町が形成され、長崎街道の要所として人々が行き交い、明治から昭和にかけて活気に溢れた筑豊炭田は、日本の近代化を推し進めた原動力となったそうです。
直方陣屋城下町を歩く 直方名物の「成金饅頭」。なぜ「成金」で「白い餡」で「どら焼き」で「ネジ梅の焼き印」なのかと思いつつ皆さんお土産に買いました。
成金饅頭を片手に長崎街道を歩く(後ろの電車は平成筑豊鉄道)
旧伊藤伝右衛門邸
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旧伊藤伝右衛門邸は明治期に建てられ、大正期・昭和初期に増築された近代和風建築物として その粋を凝らした豪邸は、広大な庭園とともに歌人柳原白蓮が日常起居した建物として飯塚市内に残る数少ない石炭遺産であるとともに「炭鉱王 伊藤伝右衛門」の功績を伝える唯一の文化遺産です。
当日の午前中で昨年4月からの公開で入場者が20万人達成したそうです。
伊藤伝右衛門さん 柳原白蓮さん  庭から見る旧伊藤邸(2階は白蓮の部屋だったそうです)
伊藤伝右衛門さんが有名になったのは「白蓮事件」です。この事件は伊藤伝右衛門さんの妻であった歌人の白蓮が七歳年下の東大生であった宮崎竜介さんと駆け落ちをし、大正12年10月に『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』という公開絶縁状を大阪朝日新聞に掲載した事件で世間は大騒ぎしたようです。
この白蓮さんは一度結婚して子供を生んだが離婚になっており、26歳で伊藤伝右衛門さんと結婚し、そして駆け落ち。
しかし何故白蓮さんは駆け落ちしたのか、又それを伊藤伝右衛門さんは姦通罪で起訴できたのに何故許したのだろうか。
せめてもの救いは白蓮と宮崎竜介は最後まで添い遂げたようですので。
天井 2階よりの庭園
玄関 旧伊藤伝右衛門邸の門
【こて絵】「武者・富士・猪」 飯塚市幸袋の実藤家 家武者が富士のすそ野で猪狩りをしているこて絵
飯塚コスモスコモン(筑前いいづか雛(ひいな)のまつり)
旧長崎街道中心商店街全体のおかみさん達が力を合わせ、「筑前いいづか雛のまつり」を行い、メイン会場は『イイヅカコスモスコモン』。特別企画として飯塚の華やかなりし時代を偲ばせる『麻生・大浦荘』と『嘉穂劇場』、『千鳥屋総本店』を一般公開、、「旧伊藤伝右衛門邸の雛のまつり」を同時開催中でした。
会員の奥様方 お雛様体験コーナーで会員のご夫妻が挑戦されました。
嘉穂劇場
嘉穂劇場は平成15年の台風で浸水し復旧不可能なほどの被害を受けました。
しかし、全国のフアンの募金や日本宝くじ協会、日本小型自動車振興会の助成を得て平成16年9月に復旧されました。いまの建物は平成16年に復旧されたものです。廻り舞台の地下にもぐると一部鉄骨などで丈夫に造ってありますが木製のます席や廻り舞台など表の見える場所は昭和6年当時のまま復旧されており明治、大正時代の趣を残していました。
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嘉穂劇場の前景 入口の昔懐かしのカンバン
2階席からみる廻り舞台と桟敷
入った所のロビー
廻り舞台の下 奈落入口
舞台裏と廻り舞台