第43回 歩こう会  
「鴻臚館」とその時代の海岸線を歩く!!
  【日時】平成19年12月4日(火)            【参加人員】     59名  
 【コース】        

読売新聞西部本社(講演)〜J平和台野球場跡〜鴻臚館展示場〜〜福岡城土手〜けやき通〜赤坂3丁目〜警固3丁目〜薬院松下電工〜容見橋〜渡辺通2丁目〜春吉小学校〜住吉橋〜住吉神社〜キャナルシテイ〜向島ポンプ場〜櫛田神社〜東長寺〜聖福寺〜博多駅〜のんのこ(忘年会)

12月4日、一年間の総決算として「学ぶ」「歩く」「グルメ」を一度に行う「欲張り歩こう会」を実施しました。
読売新聞社の講堂で、福岡市教育委員会「鴻臚館」発掘責任者より、20年間に及ぶ発掘調査成果の内容を詳しく講演いただきました。鴻臚館時代の博多湾は、我が九松周辺まで海が迫っていました。住吉神社に秘蔵されている「博多古図」には、汐原(現塩原)、蓑島(現美野島)、冷泉津などが記載されております。当日は鴻臚館跡展示(平和台球場跡)から当時の海岸線に沿って忠実に歩き、特に住吉神社前の「神池」がその時代の海岸線であったことが実感できました。
参考までに九松創業時の住所は「福岡市大字住吉字天上田」でした。博多駅筑紫口の「のんのこ」でふぐ刺し、なべ料理など美味しくいただき、最後は恒例の博多祝い唄と博多手一本で〆ました。歩行距離9km(野田 弘信)



                   鴻臚館発掘20周年記念   勉強会
 講演:鴻臚館の輝跡                                            
【講師】 大庭 康時氏 福岡教育委員会  文化財部文化財整備課在職
旧平和台球場で鴻臚館跡が発掘により発見されてから20周年。博多の地は天然の良港で、奴国の時代より対外交流の玄関口として様々な文化や人々が往来しました。そして「遠の朝廷」大宰府の外交使節として筑紫館(後の鴻臚館)がおかれて、アジアに開いた玄関口となり、鴻臚館は外国の使節を迎え、国内の使節を送り出す外交使節であり、平安時代には交易の使節として多数の商人が利用したそうです。その施設の規模や多くの対外交流を示す品々が出土した鴻臚館跡の調査成果とともに、鴻臚館を行き来したひと・もの・文化を通じて、日本とアジアを結んだ鴻臚館とその時代を紹介していただきました。
古代日本では、外国使節の入国のみならず舶来品の交易も朝廷が厳しく管理されて、日本に臣下の礼をとった渤海(中国東北部の古代国家)の使節のみが平安京で接遇された以外は、唐や新羅からの使節や貢ぎ物、入国僧侶、そして交易品はすべて筑紫の鴻臚館を唯一の到来の窓口としたそうです。
シルクロードの三つのルートのうち、北の草原ルートは新羅へつながり、西域と結ぶオアシスルートは長安から揚州へとつながり、揚州は杭州とともに海のルートの拠点で、その3本が東シナ海の東端で収束する1点、それが
鴻臚館だそうです。
平和台野球場跡(鴻臚館の発掘調査現場確認)
大庭先生の案内で鴻臚館の北館・南館、堀、トイレの位置等を確認しました。

鴻臚館跡展示館                              
舞鶴公園内の平和台球場跡地にある鴻臚館跡展示館を見学し、昼食後 博多駅まで歩きました。
この集合写真はクリックすると拡大します
今回の新入会員の紹介(左より)  井上 久子さん・紘之さん、宮尾 重治さん、垣下 光徳さん、笠井 雅弘さん

 けやき通〜赤坂〜警固を歩く       途中、薬院にある松下電工ショールームで休憩

住吉神社
本殿は元和9年(1623)の再建で国指定重要文化財。全国住吉神社の始源と考えられ、航海安全、船舶守護の神として崇拝されています。
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キャナルシティ博多
ホテル、劇団四季常設劇場、映画館、専門店、オフィスがある商業施設で、ビルの中には運河(キャナル)が流れる未来都市。近くには、老舗が軒を並べる商店街「川端通り商店街」があり、隣は櫛田神社です。
櫛田神社
天平宝字元年(757)の創建と伝えられ、ここに奉納されている「祇園山笠」は、博多の夏の風物詩としても有名。境内には「櫛田の銀杏」や「 豪古碇石」、「飾り山笠」などがあります。それぞれ参拝をして寺めぐりへ。
東長寺 聖福寺
最後は幕末の勤皇の志士 加藤司書公のお墓を訪れました

本日の歩こう会 最後は待望の【のんのこ】での忘年会です。
全席コタツ形式の(のんのこ)で美味しい鍋料理とお酒で楽しい忘年会になりました。
最後は恒例の博多・祝いめでたと締めで散会となりました。