松九会クラブへ ライブラリー
【日時】        平成16年10月8日(金)  
【参加人員】   48名 
【コース】  太刀洗町ドレームセンター〜今村カトリック教会〜キリスト教墓地〜コスモス街道〜北野天満宮〜コスモス街道〜コスモスパーク北野〜酒造めぐり(千年乃松酒造・山口酒造)〜甘木線北野駅
三井郡大刀洗町役場に48名が集合。 隠れキリシタンとして270年の江戸時代を過酷な生活に耐え忍んできた、
信者3,000人の祈りで出来た「総レンガ造りの今村天主堂」や、自分たちの町からゴミを一掃したいという北野町の
人々の想いで出来上がった「コスモス街道」を、折からの雨にも負けず元気に歩きました。
締めくくりとして、180年の歴史を有する酒造屋とパッチワーク展も見学しました。(野田 弘信)
関連情報のリンク先 今村教会 北野町HP 北野天満宮 コスモス街道
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太刀洗町ドリームセンターで本日のコース説明と今村教会のVTRを見る 新入会員の紹介(俵さん、嶋田さん、古賀さん、宮本さん)
今村カトリック教会
筑紫平野の稲作の田んぼに何故かキリシタンの里今村天主堂があった 集落の道からアプローチ道路を通じて見たところ(静かな佇まい)
この地方にキリスト教の信仰が芽生えたのは何年頃か定かではないが、1560年代には筑後地方での代表的なキリシタン集団が形成されたと伝えられる。1587年の豊臣秀吉によるキリシタン禁令、また1614年発布の徳川家康による全国的なキリシタン禁止令に基づく弾圧の嵐は、1630年代、特に1638年の「島原の乱」終結の年からこの地方にも吹き荒れた。しかし、多くの信徒が潜伏して信仰を守った。1867年2月26日、長崎浦上の四名の信徒により今村の潜伏信徒が発見され、浦上の信徒とひそかに交流を保ちながら信仰を守り通した。  二つの塔を持つロマネスク様式赤レンガ造りの現教会は1908(明治41)年に本田保神父により計画され、外国、特にドイツからの寄付、信徒たちの労働奉仕のうえ1913(大正2)年に完成した。設計・施工は当時長崎で多くの教会建築を手掛けた鉄川与助氏である。国内に残るレンガ造りの教会としては貴重な存在である。軟弱な地盤のため基礎工事には技術・コスト面で困難を極めたといわれる。ステンドグラスはフランス製、柱は高良山の杉、レンガは千代田町迎島の5工場に特注したもの、石材は浮羽郡と西見(長崎県)産、内部に掲げてあるキリスト受難の14枚の聖絵はフランス製である。外部・内部とも建設当初の状態が保たれ、明治後期から大正初期の教会建築の様子を知ることができる
特徴はレンガ造りのロマネスク様式で日本では珍しい八角形の双塔になっている
重厚なレンガ造部分と日本瓦との対比が面白い、塔屋の高さは22.49m(避雷針を含む)建坪172坪
内部の様子
柱や小屋組みは木造。ステンド
グラスは竣工当時のままでフランス製。アーチ天井は厳かな雰囲気を醸し出していた。
教会内部は撮影禁止のため、上記の写真はインタネットHPより借用
昼食タイム

昼食はトンカツのちづるで日替わり味噌汁つきで重箱弁当をいただく
コスモス街道
北野町を流れる筑後川の支流、陣屋川。その両岸に毎年10月、長さ4血に及ぶ数十万本のコスモスが咲き乱れ、人呼んでいつしか「コスモス街道」の名前が定着した。秋にもなると待ち構えた人々がドツとその可憐な風悼旧を楽しみに押し寄せる。その数、例年二十二〜三万人。今年は雨にたたられて少し減ったが、今やすっかり北野町の秋の風物となって、親しまれている。「秋空にはコスモスがよく似合う」−町外からの人が9割を占める。毎年10月10日前後の土・日曜日には恒例のコスモスフェスティバルが開催され、各種の出し物でにぎわう。今でこそ町を代表するイベントとなったが、その背景には民間ボランティアの活動と行政との良い関係がある。

この取組みのキツカケはきわめて個人的な思い立ち、からであった。今から27年前、陣屋川の近くに住む会社員(当時)角光辿雄(かくみつみち)さんは心ない通行人がゴミを川原に捨て、川が汚れていることに心を傷めた。「でも、美しい花を植えたら、少しはどうにかなるのでは?」とコスモスの花を植えることにした。子供の出産も間近で、それを祝う気持もあった。当初はホンの10mほどの土地に植えた。年後には600mまでに。次第に川もきれいになり、賛同した多くのボランティアの輪が広がり始めた。植え付け作業は3月の除草から始まり、本番始めの種まき▽芯(しん)止め、施肥と進み、それから10月に入っての開花本番を迎える。

コスモス街道に入ると心配した雨が降り出し黙々とひたすら歩く。 途中の西鉄甘木線の踏み切り
北野天満宮
北野天満宮は、コスモスで有名な北野町コスモス街道沿いにあるお宮である。天満宮というと、菅原道真公を祀ってあり学業成就の神様であることはあまりに有名だ。案内板によれば、さらにひきつけふうじの祈願所として近郷【きんごう】からの参拝者が絶えないという。北野町の地名と北野天満宮の名称、どちらが先に決まったのだろうか。というのも、京都に北野天満宮という大きなお宮がある。それを知ったとき、「へぇ同じ名前で京都のお宮はやけに大きいな、同じ名前というのもこういうとき困るねぇ」と思ったのだが、これまた現地の案内板によれば平安時代、その京都の北野天満宮の代官所として華麗を誇ったのだそうだ。無関係どころか関係大有りで、名前が同じなのも頷ける次第。
銀のうぐいす 金のうぐいす
天喜2年(1054年)建立  天満宮ふうの橋から参道の商店街(参道には古い酒造酒屋がある)
コスモスパーク北野
小雨の中コスモパーク北野の5部咲きコスモスを眺めて酒造めぐりへ
酒造めぐり
千年乃松酒造(五庄屋と床島堰物語や菅原道真公と河童物語)のパネル紹介を見たあと雨のためここで解散
庭の鶯 山口酒造ではパッチワーク特別展が開催中で奥方たちは熱心に見学していました
熱心にパッチワークの作り方を聞いたのち北野駅午後4時24分発の電車で帰宅の途につきました。