第14回 歩こう会

                                                 

弥生〜古代の【早良国】を歩く
平成15年2月4日(火) AM10:00〜16:00
2月4日(火)早良区田村の「もつ鍋・万十屋」に総勢41名が集合。午前中は、福岡市文化財の担当責任者の案内で「三種の神器」を持った弥生時代の「王墓」が発掘された吉武高木遺跡を見学し、その足で標高250mの飯盛神社中宮まで登り、眼下に広がる早良平野や博多湾そして遠く玄海灘おも一望に眺め気分は爽快!午後は、室見川の川面を見ながら河川敷の遊歩道を歩き、工事中の地下鉄3号線橋本駅を経由し弥生時代の野方環濠集落跡を訪れました。都合12Kmを元気に歩き「これでまた健康になった」と全員満足の体でした。この一年続けてきました「歩こう会・古代編」ひとまず終わり 、来年度は新企画・近代編「史跡を訪ね、旧街道を行く」に挑戦をしてまいります。(野田 弘信)

吉武高木遺跡 野方遺跡 飯盛神社

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もつ鍋の万+屋に10時集合 樋渡遺跡での説明
樋渡遺跡 吉武高木遺跡10年後の公園化を期待
吉武大石遺跡
『飯盛神社由緒』によると、天太玉命が伊弉冉尊を奉齋することを創建のを起源としている。
 上宮に伊弉冉尊、中宮に五十猛尊を奉齋し、多分下宮に天太玉命を祀ったのだろう。故に飯盛三所権現宮と称していた。往年、上・中・下宮・神宮寺を設けていた。
 福岡平野を挟み、東には若杉山に坐す「太祖神社(伊邪那伎尊)福岡県糟屋郡篠栗町大字若杉字石ヒシキ1047」、西には飯盛山に坐す「飯盛神社(伊弉册尊)」すなわち夫婦山として古代よりの国産み伝説の基となったと云う。
飯盛神社 飯盛神社の産霊水
中宮跡を目指して 福岡の街が一望
西区方面
 室見川河川敷    室見川渡り鳥
野方遺跡早良平野南北600m東西200mの台地 野方遺跡昭和48年に発見
野方遺跡         焼失した高床倉庫 野方遺跡室内展示   弥生後期から古墳前期の遺溝