第12回  歩こう会 本文へジャンプ
邪馬台国の時代「伊都国」を歩く
10月1日(火)前原市の平原歴史公園に総勢44名が集合。
市の文化財担当者の案内で、午前中は邪馬台国の時代! 我が国最大の銅鏡
「八咫(やた)の鏡」が出土した「女王墓」や「伊都国」の中心である「三雲遺跡」を探訪し
午後は奈良時代、我が国が最前線軍事拠点として築造した「怡土(いと)城跡」の発掘調査
現場を見学しました。
昼食は弥生の米「赤米」で献立した「ひみこ料理」をいただき、心地好いさわやかな
秋晴れ! 黄金食の稲穂の中10Km歩きながら、すっかり1800年前の「弥生人」になった
気分の一日でした。(野田弘信)


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平原遺跡
平原遺跡は伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40年(1965)に発見されました。発見は偶然によるもので、土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となり、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行わて1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。この墓は弥生時代後期〜終末(約1800〜1900年前)に造られたものです。副葬品は銅鏡39枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡(日本製)が4枚ありますが、これは日本最大の銅鏡です。その他の銅鏡もほとんどが中国製で非常に貴重なものです。また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も日本一で、伊都国王の墓にふさわしい内容です。ところで、この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いことです。
平原遺跡
平原遺跡 ワレ塚古墳
秋漂う田んぼ道をただ歩 細石神社
端山古墳 ファームパーク伊都館で昼食
ファームパークを出発 伊都歴史資料館の庭石10トン
伊都歴史資料館 日本最大の銅鏡(平原王墓出土)(内行花文鏡 直径46.5cm)
金龍寺
金龍寺 高祖神社
只今発掘中