第10回  歩こう会 本文へジャンプ

             

歴史探訪   弥生〜飛鳥時代の【奴国】を歩く

平成14年6月6日(木)我が郷土を歩く! 春日市編

6月6日(木)快晴、春日市・奴国の丘歴史資料館に総勢38名が集合。市の文化財担当者の案内で、2千年前の弥生時代、我が国で最も栄えていた「奴国」を証明する王墓や ハイテク工房等の遺跡の数々を探訪しました。
古代人の優れた生産技術と活躍に感心しつつ、考古学会では「弥生銀座」といわれている春日丘陵一帯を、炎天下暑さに負けずに10kmを元気で歩きました。
     
      (野田弘信)


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 奴国の丘歴史公園 王墓上石
弥生時代に入ると、春日市域では、弥生文化が花開きます。中国の歴史書にも出てくる奴国の中心地は、現在の春日市岡本にあったと考えられています。弥生時代前期は、小規模の遺跡が点在するだけでした。弥生中期になると、春日丘陵上に多数の集落や墓地が築かれるようになり、急激に人口が増加します。この地が奴国の中心地となります。遺跡群は、南は大谷遺跡あたりから、北は須玖岡本遺跡の北方低地までの広大な範囲に及び、政治的、経済的に一体となっていたと考えられています。弥生時代の終わりのころになると、春日丘陵北方の低地には青銅器工房やガラス工房が作られ、奴国の文化が栄えたことがうかがえます

      須玖岡本遺跡

須玖岡本遺跡は、奴国の中心地と考えられています。奴国王墓や王族墓が発見され、かめ棺の中からは、貴重な副葬品がたくさん出てきました

熊野神社
(日拝塚古墳)6世紀前半に造られた古墳で、国指定史跡として整備されています。昭和4年に盗掘を受けた際、金製の耳飾りを始めとする装身具類、馬具や武器類、須恵器などが出土しています
瓦窯跡展示館 7世紀後半の瓦窯(かわらがま)が2基発掘され、多量の瓦が出土したウトグチ遺跡
天神山 天神山水城跡での説明
7世紀の唐・新羅軍の侵攻に備えて、春日市・大野城市・太宰府市にかけて築造された大防塁(国指定特別史跡)。春日市には大土居水城跡と天神山水城跡がある。牛頸(うしくび)山系と四王寺山を結ぶ水城(大堤)と区別して、小水城と呼ばれている。
大土井水城跡 花の好きな民家に立ち寄る。